僕は木で物を作る。クライミングホールドも木で作る。
実は木じゃなくたっていい。いずれ土に還ってまた生命を育む素材を主体に出来ればそれでいい。
なぜならばその方が損をしないから。僕個人の損ではなくて生命全体の損。
僕らは生命全体の損を許容する事で個人的な得を手に入れられるシステムの中で生きている。それは間違ってる事じゃない。そのように消費しながらしか生きられない。
だから境界線を設けて常に妥協と拒否の選択を迫られる。
例えば、食品添加物。本来の目的は生命を維持するための摂取。でも見た目の良さとか、長期保存とか、コストダウンだとかのために添加されるモノがある。それによって本来の目的である栄養摂取と共に全く関係ない薬物を摂取することになるのだけど、恩恵に預かるところももちろんあり妥協できる部分は多々ある。
しかし
アスパルテーム(人工甘味料)のようなものはいささか度を超えている。必要悪とは到底考えられない。
また歯磨き粉などにわざわざ配合される
フッ素などもどうかと思う。
販売側の都合による妥協の選択が生命の尊厳を凌駕してしまえば命そのものを素材にした錬金術。そしてそのような妥協が現代には数多く跋扈しているわけだ。
ただ、いくら販売側の都合で店の棚に並んでいても、買う側の選択がある。裏面の表示を見て嫌なら買わないというフィルターを通せばいい。僕はそうしてる。
しかし多くの人はそうではない。無批判に妥協してしまう。ある意味人がいい。
例えばこの時期に重宝されるインフルエンザのワクチンには受ける側の選択材料である成分表示がなされていない。実は水俣病の元凶
水銀が添加されていると伝えられていたらどう思うだろう?妥協できる?
僕がそんな事を不特定多数の人に吹聴するれば気がおかしいとあからさまに忌避される。知らないことであってもそれが多数意見であり、多数意見とは常識であるから僕が忌避されるのは至って正常である。間違ってはいない。
かなり前、僕が大学生だった頃にタバコには放射性物質が含まれていると環境の授業で習った。僕はこれは大変だと喫煙者に言って回った。誰も信じはしなかった。忌避され続けたもんだ。
で、この度
4月から出回るタバコにはこの度の事故で飛び散ったセシウムが交じる物もあるとJTの認めているところ。
学生時代の過去を回想していたら、この記事の中で10年ぶりにタバコにはもともとポロニウムという放射性物質が含まれているという文言にも再会してしまったのはなんとも。
10年前は誰も信じなかったタバコの中の放射性物質だが、4月からは少なくともセシウムは交じる。計測できないだけでプルトニウムとストロンチウムも入ってると考える方が妥当だろう。もともとだけどポロニウムも混じってみたいだよ。
どう考える?まだ妥協できる?もともと放射性物質が含まれているものを嗜んでいて問題なかったんだからいまさら放射能は怖くないなんて楽観してしまおうか?
とりあえず僕はもともとタバコを嗜まないし、4月からは副流煙ですらより嫌だな。
まあ残念かな、知っていることだけを常識と捉え、知らないことを非常識と捉えるならばこの世の中は広大な非常識の中に砂粒なような常識があるに過ぎない。
情報化社会などと言われ、安易に情報が手に入る世になった。油断するとどんどん馬鹿になっていく。これは矛盾じゃない。それが情報の性質だと思う。
一つの事を一生懸命調べて真理に辿り着こうと務めることで情報は研鑽され知識へ思想へと変貌する。通り一遍の情報をさらうだけで知った気になってしまえば知識を得るに至らず、その情報のあり様を安易に権威に委ねてしまう。
僕が昨年3月12日に福島原発より50キロに位置する家から即座に飛び出した理由は自分の生命の問題を誰かに委ねたくなかったから。
生命を第一義に尊重するならば原発など作らないよ。生命が尊重されなければ平和など感じ得ない。
お金をたくさん儲ける事を生命全体の損によって成しうる。
妥協できる?
妥協できるならばそれはそういう生き方なんだけどね・・・。
ま、とりあえず僕は木でクライミングホールドを作っちゃったりするというポーズを続けようと思うわけだ。
土から生まれ土に育まれ土に還りまた土より生まれる。それが僕の思想。
※リンクを張った記事に対して、その確実性を問われる事があるのだけど、それを自分で判断して下さい。検証しようとしたら一生かかる。だいたい、僕が本当だって言って無批判に信じるようならこの記事の意味無いじゃん。ま、そんな権威は無いので僕は僕に安心だよ。